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「料理人の卵」を育てる吉田徹さんインタビュー

注目の料理人
2019/03/28
「料理人の卵」を育てる吉田徹さんインタビュー

吉田徹さんは、函館短期大学付設調理製菓専門学校で西洋料理の教鞭を執り、これまでさまざまな現場で活躍する数多くの料理人たちを育ててきました。いわば「料理人(調理師)の卵」を育てる料理人です。また、行政や生産者、企業などと協力し、地域の食材を用いた新たなレシピや商品の開発にも精力的に取り組んでいます。吉田さんに、ご自身の経験や、食の街・函館の魅力を高めていくためのアイディアについて伺いました。
 
 
■ 料理人を目指して東京へ
料理人になりたいと思ったのは、中学の頃でした。函館水産高校では、授業でスモークサーモンやクジラベーコンを美味しく作ることに没頭しました。函館短期大学に進み、栄養士の免許を取ったのですが、同時に夜間部の調理師学校にも通いました。そこで洋食を教えてくれた塚本政衛先生と一緒に青函連絡船に乗り、上京。上野の「東洋軒」という老舗の宴会場に着いたら、そのまま店に置いていかれて、仕事を始めることになりました。その日、自分の寝場所までどうやって帰ったかも分からないほどで、慌ただしく料理人の人生がスタートしました。
 
■ 東京での経験
最初は食材を洗ったり、皿洗いの毎日。当時の調理場はまだ徒弟制ですから、とにかく厳しかった。日本屈指のトップシェフのひとりである当時の料理部門のチーフが、ある日、夜食の賄い料理に天ぷらそばを作ってくれましたが、その美味しさに仰天。一流の職人とはすごいものだと感心し、自分もそうなりたいとあらためて思い、憧れの職人の姿を追いかけることで仕事を続けることができました。忙しい日々のなか、自分を試すチャンスは料理コンクールでした。1987年、「ピエール・テタンジェ国際料理賞コンクール」日本予選では、約270人の応募者の中から、わずか10人の実技審査を受けることができました。
 
■ 帰郷、そして「料理人の卵」を育てる立場に
青函博(青函トンネル開通記念博覧会)の前年、37歳の時ですが、函館駅前(現在のフォーポイント・バイ・シェラトン函館の場所)に「函館ハーバービューホテル」が開業したのを機に帰郷し、レストラン部門の料理長の職を得ました。東京での経験から自信はあったのですが、函館ではどういうものが好まれるのかが気になり、当時はいろいろな店の食べ歩きもしました。数年経ってレストランが軌道に乗った頃、母校である調理師学校から外部講師の依頼があり、生徒たちに西洋料理を教えに行くようになりました。当時は、テレビで「料理の鉄人」や「料理天国」といった番組が人気で、生徒はとにかく多かった。授業には定員以上の生徒がいるようなこともありました。
 
■ 今の「料理人の卵」の気質とは?
今は昔に比べて、おとなしい生徒が多い。昔は、「いつまでも人に指示されて料理を作るのではなく、自分の考えた料理を提供し、お客様を満足させたい。だからシェフを目指す。」という風潮でしたが、今はどちらかというと、休暇、給料、勤務時間など待遇がしっかりと決まっている職場を望む傾向があります。就職の選択肢があり、かつ情報も多いので、どこにしたらよいのかをなかなか決められないのも今の特徴です。一方で、「ジョエル・ロブション」や「東京會舘」「グランドハイアット東京」など超一流を狙って、実際にそこに進む生徒もいます。
 
■ 「食の街・函館」の魅力を高めるためには?
これから料理を仕事にする人たちが夢を持てる食の街であることが大事。そのために、迎賓館のようなものを作ってみたいという夢を持っています。街にとって大事なお客様をもてなすために、語学が堪能な人に関わってもらい、第一級のサービスを提供する施設です。そこでは、料理人や生産者の名前をしっかりと掲げることが必要。フランス大統領のエリゼ宮での美食外交が有名です。函館には美しい四季が感じられる名勝「香雪園」もあり、そういう施設を利用するのもよいですね。料理人たちは、それに携わるためのステップを上がっていくために、勉強したり、精進したりします。夢のような話ですが、函館にはそうしたことを実現するための素材は揃っていると思っています。

「生徒たちには、調理のみならず、料理人の生き方を教えたい。」と吉田さん。親身さゆえの厳しさも時折のぞかせます。


函館短期大学付設調理製菓専門学校では、毎年「学校祭 味まつり」「食彩感謝祭」など市民向けに料理を提供する催しがあり、お手製の西洋料理の惣菜類が大好評です。


吉田さんは、がごめ昆布料理研究の第一人者。がごめ昆布の粘り成分を抽出し、ところてん状に固めたものを考案し、「函館がごめの雫」として商品化しました。近年、ところてんよりも柔らかいものを作ろうと配合を工夫し、「がごめ昆布のゼリー」を試作しています。


専門学校では、道南地方での漁業の厄介者であるサメを食資源として有効活用しようと、青森市のサメ専門業者「田向商店」などと共にレシピ開発を行っています。吉田さんは、サメの洋風すり身を使った「アブラツノザメのクネル チーズ風味」を考案。

吉田徹
1950年、函館市志海苔町(旧銭亀沢村)生まれ。函館短期大学食物栄養科、同大学付設の調理師学校の夜間部を卒業。「東洋軒」(東京)に17年間勤務し、西洋料理を担当。1987年に帰郷し、「函館ハーバービューホテル」のレストラン料理長に。同時に、函館短期大学付設調理専門学校で後進の指導を始め、2004年、教頭(調理実習・調理理論担当)に就任。社団法人日本エスコフィエ協会会員。